貯金5万円で美容師をクビになってから6ヶ月で独立開業できるまで

標準

僕は貯金が5万円しかないなか、美容師として独立しました。
正確には気付いたらできてしまっていたという感じです。
自分の実力がどうこうではなく、たくさんの人が助けてくれ、さらには奇跡の連続でした。
 
独立する為に。。
自分らしい人生を歩む為に大切なことは、美容師としての能力とか経営の知識とかではなく「覚悟」だと思います。
 
2010年の2月、24歳からの出来事です。
 この体験を通して学んだ事や当時の心情を書いてみました。
 
 
 
 
2月 クビになった理由が衝撃
タイトルにある通り、2店舗目で勤めさせていただいたサロンをクビになりました。
当時のBOSSに突然呼ばれ
「情熱がうっとおしい。お店を辞めてもらえないか?」という衝撃的な一言からはじまりました。
そうそう。。
「情熱がありすぎる」といういまだかつて聞いた事のない理由で僕は解雇されたのでした!
今では伝説というかネタという感じですが、当時は理解できなくて軽くパニックになりました。
次がみつかるまではうちのサロンに居ていいよと言って頂きましたが、中途半端な状態がすごく嫌だったのですぐにサロンを辞める事にしました。
※当時は色々な想いがありましたが、今ではBOSSをとても尊敬していますしすごく感謝してます。美容師としての本質を教えて頂けたなと感じてます。いつか立派になって挨拶に行きたいと思っています。
 
 
 
3月 人生のドン底とはこんな感じなのか。。。
辞めてからは凄く落ち込みました。
当時の僕のちっぽけなプライドを打ち砕かれ、美容師として今まで築き上げたものを全て失った感覚になってしまい2ヶ月ほど寝込みました。
夜は全く眠れない状態で、今思えばうつ病の症状だったのではないかと思います。
 
人生のドン底な気分でした。。。
 
ちょうど3月頃に冬季オリンピックがテレビでやっていたのですが、同年代の方が頑張ってメダル獲ったのをぼーっとみていて気持ちが入りました。
何かを成し遂げたり頑張っているひとは本人の気付かないところで見知らぬ誰かに勇気や希望を与えています。
当時の僕には本当に心の底まで響きました。
「俺!このままじゃダメだ!」現状を打破するにはどうしたらいいのだろうと考え、眠れるようにするにはとにかく疲れるしかない!!と思い、無理やり体を動かす事にしました。
時間はたっぷりあったので、どこか遠くて1番最初にパッと思い浮かんだ場所に行こうと決めました。
 
 
 
 
4月前半 生きているという実感に満たされる。
なぜか最初に思い浮かんだのが世界遺産である屋久島の縄文杉でした。
僕は苗字が古木というのですが、屋久島の縄文杉は古い木だしなんかいいぞ!という安易な気持ちで決定。
しかし行き方を調べてみるととても遠く、その時の全財産では旅費が足りません。
そこでバイクなら行けるのではないかと考え、ちょうど仕事を辞めて自由になっていた高校の友達を誘い、4月の半ばに出発しました。
※この時、友達が一緒に行ってくれなかったとしたら途中であきらめていたかもしれません。快く一緒に旅をしてくれたことに今でも感謝してます。
片道1350Km、往復2700Kmの距離を無謀にも一台のバイクを二ケツで。アホでした。
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お金が無かったので宿にも泊まれず、公園で寝たりしてのバイクの旅は思っていたよりも過酷でしたが、あまりの疲れによりしっかりと眠れるようになりました。
屋久島では4月でも山からの風が吹いて気温が氷点下近くまで下がり、野宿して凍死する方がいるらしいのですが、僕たちはお金が無くて宿に泊まれませんでした。
凍死する訳にはいかないのでとにかく朝まで歩こうと1〜2時間ほど。。。すると町のコインランドリーをみつけ、そこで暖をとって助けられました。日本のコインランドリーは素晴らしい!!
※旅では他にも様々な困難やドラマがあったのですが省略。。。
 そんな体験をしながらも無事に縄文杉をみて旅から帰ることができました。
そしてここで感動体験が待っていました。
家のお風呂に入った時の暖かさ、布団に入った時のモフモフ感に体が全力で幸せを感じてくれました。
大げさかもしれませんが、「生きている」という実感に満たされたのを覚えてます。
いつも当たり前にあるもののありがたみをとても感じさせてくれた旅であり、今でもホントに行って良かったなと思っています。
 
 
 
 
4月後半 美容師という仕事の楽しさ、素晴らしさに気づけた
帰ってきてからすぐに地元の幼馴染から連絡があり、「髪切ってよ〜」とカットパーマを頼まれました。
横浜の実家のリビングにてカットし、終わった後に5000円ほどくれました。
僕はいらないよと言ったのですが「少ないけど受け取ってよ!ありがとう!」と言って渡してくれました。
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 過酷な旅から帰ったばかりなのもあってなのかもしれませんが、このカットをしている時に今までのサロンワークでは体験したことの無い異質な楽しさを感じました。
 
サロンワークでのプレッシャーもなく。
 
何か先に目指すべき売り上げもなく。
 
義務感としてではなく。
 
ただただ友達の髪をカットする。
 
あるのは目の前の髪型を純粋にカッコよくするという気持ちだけ。
 
なんて楽しいのだろう。。。
 
「これが美容学生の頃に、美容師になったら感じたかった感覚かも」
 僕の気持ちをわかってカットを頼んでくれたのかどうかはわかりませんが、ここでも友達に助けられました。これも今では忘れられない一瞬です。
 
この体験から気づいたことがあります。
知らず知らずのうちに美容師業を作業的にこなし生活する為、また競争をしたりして何かにうち勝ち自分を認めさせる為のツールとして付き合ってきてしまったことに。
競争は決して悪いことではありませんが、でも美容師さんであれば人生のどこかで一度でもいいので何も制約のない状態でのカットの楽しさを体験できるといいのかもしれません。
 
そして僕の美容師人生はここから大きく変化していきます。
「表参道などの都心で働かないと堂々と美容師といえない!」というちっぽけプライドは砕け散り、ただ純粋に髪型をつくる楽しみを知ってしまった僕は
「カットってどこでもできるじゃん!!」という考えに変わり、バイクの後ろにカット道具の入ったキャリーケースを乗せ、頼まれればどこでも出張で行くというスタイルででかけるようになりました。
 ※表参道を批判しているわけではないですよ!表参道だい好きです。今はたまに青山の面貸しでやったりして楽しんでます。
 
 
 
 
5月 プロとしてお金を頂く為に大切な事。
5月から出張美容師がはじまりました。
とはいえお客様はひとりもいなかったので自分で名刺とホームページをつくり、誘われればいろいろな場へでかけて名刺を渡してまわり、カットを頼まれればどこへでもいきました。
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屋久島の旅により、ワイルド精神の増した僕にとってバイクでの出張はとても簡単なものでした。
 
しかしここで大きな壁が立ちはだかります。
プロとしてお金をいただく自信がまったくありませんでした。。。
ちゃんとしたサロンではないし、シャンプー台もないし、僕の技術もまだまだな状態なのに料金をいただくなんて。。。
しかし、旅にてお金が底をついてしまったのでなんとかしのいで生活していかねばなりませんでした。
そんな時に当時知り合った友達の言葉に背中を押されました。「ははは!ズマくんにいっぱい人を紹介するよ!!」とか「ズマなら大丈夫だよ。頼んでくれる人にちゃんと仕事でやっていると言ってやってみなよ。絶対できるから大丈夫。」だったりと。
渋谷の音楽バーのおっちゃんにもこんなことを言われました。「ズマなら絶対大丈夫だよ!どう考えてもうまくいくに決まっている!」
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↑勇気のでる言葉をくれたおっちゃんやお友達たち。
こんなドン底まっさかりな僕にみんな本気で言葉をかけてくれました。
ホントに苦しい時、人の言葉は素敵なチカラをくれるのです。
言葉が背中を押し、まずは「いまだけ半額の3000円!」という感じでプロとしての意識を持って出張カットをはじめました。
 
サービスをしてお金を頂くのに大切な事ってプロ意識なんですよね。
 
しかしこれでずっと食っていけるとは思っていなかったので就活もしていました。
美容師の先輩が働いている表参道のサロンを紹介いただき、店長さんに「いますぐ雇う余裕はないから8月まで3ヶ月間ほど待ってほしい」と言われました。
この頃も、独立しようなんて考えは一切ありませんでした。
 
 
 
 
6月前半 美容師が実際に求められている事と、美容師が求められていると思い込んでいることの違い
出張カットは価格が安く珍しかった為か、毎日のように紹介をいただきました。
お客様のお宅にお邪魔してカットするのにもかかわらず、みなさんホントに喜んでくれました。
そしてさらに人をどんどん紹介してくれました。
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↑当時の出張カット時の写真
 
このあたりから自分の中にある「美容師がお客様から求められている事」にたいしての思い込みが徐々に崩れはじめました。
 
出張カットをはじめて1ヶ月経った6月頃から「カラーもしてほしい」「パーマはできますか?」という要望が増えました。
カラーを挑戦してみたりしたのですが、さすがに材料の持ち運びが難しく、さらにパーマは非現実的でした。
 
そこで、どうしてもやりたいという方向けに、パーマのロッドやカラー剤、ワゴンなどの道具を横浜の実家に準備し案内することにしました。
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ここでも美容師として衝撃的な体験をします。
実家の洗面台には上記写真のようにシャワーホースがついているのですが、カラーやパーマをしたお客様に洗面台で自分で流していただくのです。
もちろん予約時に事前にお伝えはしておりましたが、そんなむちゃくちゃな施述内容にもかかわらず代金を支払って笑顔で帰っていくお客様を目にし、内心では正直かなり混乱してました。
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↑横浜実家でのカット時の写真
 
ありえない前代未聞のスタイルなのに、なぜかお客様が何の違和感もなく普通に訪れました。
「美容師がお客様から求められている事」っていったいなんなんだろうとよく考えるようになりました。
 
 
 
 
6月後半 奇跡はここから。
2010年の6月23日に25歳の誕生日を迎えました。
 そこから約1ヶ月後の8月から働かさせていただけるかもしれないサロンが決まっていましたが、いま目の前で起きている美容師としての体験がとても楽しくてホントに素晴らしかった為、葛藤をしていました。
 
「本当にまた有名店でいいのだろうか?いままでの繰り返しになるのではないか・・・」
 
すごくすごく考え、とても悩みました。
 都心の有名店ではアシスタントで雇ってくれる年齢がおそくて25歳までで、そのあたりで働くのはラストチャンス。
このまま出張でやってて食っていける訳ないですし世の中そんなに甘くありません。
サロンでもっと修行をして技術を磨き、お金を貯めないと。
 
しかし頭の考えや理性とは裏腹に、自分の中から溢れ出る未知なるワクワク感を全身で感じてしまっていました。
「そのまま突き進め!!」と自分の魂が叫んでいるような気がしました。
 しかし葛藤は続き、恐怖を生みます。
 
なにがこわいのか?
先がみえないからか?
王道コースから外れることがダメなことなのか?
ドン底から失うものなんてなにも無いのではないか?
 
僕はこの葛藤からとても大切なことに気づくことができました。
ワクワクする自分らしい生き方を選択するよりも、周囲の目線や観られ方で自分の人生を選択しようとしていたのです。
美容師目線からすると王道コースが周囲からよく見えます。
王道をすすみ美容師として成功することは素晴らしいことですし、それが間違っているとはまったく思いません。
でもその選択が全ての人にとって正しいとは限らず、王道ではない道をすすむことによって別の形で成功する人や幸せになれる人も存在するかもしれません。
 
僕は自分のワクワクする感覚を信じることにしました。
この先どんな事になるのかわからず、保証の一切ない道をこのまま進んでみようと。
思考や思い込みを受け止めて乗り越え、恐怖という感情に打ち勝つ必要があります。
 
そして覚悟を決めました。
 
ここから予期せぬ奇跡がおこりはじめるのです。
後編につづく!
 
 
 
 
 
 
 
 
※2015年11月:後編を書きました!
 
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f-yoyaku

 

 

 

 

 

 

 

 

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